巨大で独創的なデザインの二つのビルに囲まれた空間には大きなケヤキが植えられ、新しい都会的な風景を形づくっています。昼休みには色々なお弁当を売る自動車屋台が出て、賑わっています。またテーブルや椅子も出ていて、屋外でお昼を楽しむ人たちも見かけます。
少し離れた丸ビルの南側にはこんな船の像が飾られていました。
なにやら読みにくい説明が書いてあったのですが、リーフで号というのが読み取れました。どこかで聞いた名前でオランダ船かなんかだったと、うろ覚えしていたのですが、念のためグーグルで検索してみました。
Wikipediaによると、1600年に難破して大分県にたどり着いたオランダ船で、後に幕府に雇われたウイリアム・アダムス (Wiliam Adams) やヤン・ヨーステン (Jan Joosten van Lodensteyn) はこの船に乗っていたのだそうです。
八重洲という地名はヤン・ヨーステンの屋敷があったところで、彼の名からそう呼ばれたと聞いていました。でもこれは一寸、無理なこじつけじゃないかと思っていたのですが、彼の日本名が耶楊子(やようす)であったと知って、納得しました。
彼は家康から丸の内に屋敷を貰ったとありますから、ここにリーフデ号の像があるのも納得できました。でも屋敷は今の東京駅の駅の東側の丸の内なのに、八重洲という地名は西側なのがやはり納得いきません。どなたか教えてください。
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